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9月17日
主催者側の親切。
朝、部屋を出ようとドアを開けると、目の前の階段の踊り場にスーツ姿の男性が寝ていた。
沖縄でのクリエイションをする上で、間借なりにもこの地がどのような土地であるのかを体で感じることが必要ではないか。その手掛かりを歴史に求め、視聴覚的にもそこに触れうる場として、博物館、そしてひめゆりの塔記念館。加えて糸満の平和記念資料館を案内される。
私としては博物館一館を見て歩くのもなかなか大変なことである。その結果として、情報としてはもちろん、むしろ体感的に沖縄について知る一日となったようにも思われた。今思い返せば、たった一回の博物館見学や、ワークショップではたしてどれだけ沖縄像とでもいうべきイメージを文化の異なる個々人がとらえうるのだろうかという興味が、さっそく暑さと情報量の大きな詰込みのなかぼんやりとわいてきたようにも思う。
中秋であった。台風は先島諸島あたりよりそのまま北上する形をとったため、那覇上空の変化は大きいものの、時折ざっとした雨が通り過ぎるくらいの一日であった。だから、我々一行が雨を直接被ったのは、夕方、急きょ決まった首里城での中秋の宴を見るために公園近くのカフェでホットサンドを小腹にと蓄えた折くらいのものである。
香港からのPo氏とWei氏とに合流した折の車内で、彼らが中秋の祝いについてちらと尋ねてきた。その時は何とはなしに、習俗としてこれを祝うことはあるし、中国では月餅を食べるよね…というような話をするにとどまったものであったが、至ればなるほどまさしく中秋である。スーパーにはこれといった中秋を祝う菓子の類は見いだせなかったが、あえて言うならピーナツ餡入りの丸い小麦焼き菓子(「薫餅」)のようなものが、大中小と三重に積まれてパッケージされるなどしているのが目についたくらいか。話はそれるが、糸満の平和記念資料館へ出かけた際に1950年代以降の街の様子が一部再現されていた。その中に日用品や豆、駄菓子を扱う店があり、その棚に前日スーパーで目に留まったバタークリームを巻いたロールケーキ状のパンが並べられていたのを見て、これはぜひ沖縄の庶民の味の記憶として食べておかなくてはと思ったものである。味は想像できなくもない。その夜買ったそれはそのボリュームもあり、三日ほどかかって食べきった。スーパーで見かけたメロンパンはじめ、沖縄のパンは大ぶりな印象である。私は食いしん坊なので、こういったそれぞれの地元の菓子やパンなどが気になってしまう。那覇でのお気に入りは「ミニジャーマン」という名のチョコレート味のカップケーキ上に、甘くシャキシャキとしたココナッツがちりばめられたもので、これを半分にし、夜部屋に帰った後牛乳片手にその歯触りをぞくぞく楽しんだものである。
それにしても、今回のクリエイションでは、誰もが相応に食いしん坊であったように思う。なかでも緒方氏はプロデューサーの水野氏と旧知ということもあり、彼女がふと昼食や夕食の話題を口にするたびに水野氏から「ダンサーなんだから食べ物のことよりも、もっと痩せることを考えなさい!」と、笑いながら愛弟子を叱咤激励する様が見られた。もちろん、これは気遣いの人・緒方氏なりの場を和ませる方便でもあったのだが。
話をどこまでもどしたものか。それにしてもこの日の日程は、一日の情報量としては過多というべきであろう。博物館は2館も廻れば、熱中症にならずとも十分疲労するにたると私には思われた。そのスケジュールを見越してか、初めに伺った県立博物館常設展示冒頭のキョンの頭蓋骨は、心なしか薄笑いを浮かべているように見えた。