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ホットサンドを食べながら夕よりの中秋の宴を待つ。
雨をやり過ごしながら気安くつまむ梅チーズ味のチキンサンドが旨い。
開催するか否かを確認するためもあり首里城公園へ向かう。どうやら雨雲も通り過ぎたようで、上演は予定通りであるらしい。
濡れた石段を上っていく。すでに一曲目の≪若衆くてぃ節≫が始まっていた。後の組踊曲≪二童敵討≫の二童もそうであるが、若衆の中性的存在としての華々しきまでの強調は、神聖稚児のような、神性とでもいうべき何かを備えた存在としての表象であるのかもしれないし、またもっと単純に、若い時分の生命の眩さみたいなものを花にたとえるような類の素朴さが装飾性を強めた結果であるのかもしれない。白き花のかんばせ。その美しき二童の手踊りに心奪われた阿麻和利は、ついに鶴松・亀千代にと仇討ちを許す嗚呼となるのである。おそらく玉城朝薫の創作のそのもとになったと考えられる曽我五郎・十郎は、こんな嫋やかな兄弟ではなく、東胡然とした粗野な時代の武者の性格をあらわにしていたはずである。ために、巻き狩りの夜、工藤佑経を襲い逃れる時にまとった女の衣も身になじまず、人が露見したのだろう。
芸能を外交手段として生きた王朝の芸能や思索の者が、いかに美しさの演出にと腐心していたのかがうかがわれる点でもあるようにも思われる。
宮城能鳳≪諸屯≫の立ち姿を見たときに、上のような装飾の必然性と不断のものとして、琉球王朝の舞踊の完成型の一つがそこはかとなく伺えてくるような思いもしてくる。
この日のプログラムが心憎いのは、演奏と組踊を連ねて、最後に≪醜童≫をもって観衆の心と、それまで立ち上げてきた伝統芸能鑑賞の場とを解放して和ませるこの一連の流れである。そして、この美の象徴的と対比される形で「醜童」という身振りのぎこちなさをもって演出された粗暴さが笑いを誘えば誘うほど、本筋としての琉球舞踊が求め構築しようと努めた美のありどころを照らすのである。あの二童を照らし、その敵阿麻和利を照らし出した中秋の名月よろしく。
こうして古典舞踊中の笑いがいかに演出されるか、どういった者にそれが託されているのか、その一例を見ることができた興味深さといったらない。あの若衆の赤に対して緑の衣をまとった醜童よ。私の心をくすぐる古鏡よ。あぁ、想像力に拍車をかけるかのような笑いを担う者よ。しかしなぜだろう、もっとも精細に想像力を巡らせて語りたいと思うその原動力をもらった醜童であったはずなのに、首里城ではさほど思いも廻らせなかった若衆にかえって琉球芸術の美の所在を見出そうと努めるような口ぶりになったのは。嗚呼の者は美醜というような二元的を超えていく軽やかさがあったはずではなかったか。それを今あたかも対比としてのみ語ってしまうのは。いや、そうではなかろう。引き合いに出した醜童に見出す笑いは、あくまで対比による演出から生み出された「もどき」の笑いなのである・・・と、そう、一人自娯楽にひたりつつある私はさておいたとして、はてさて、香港よりの二先生は、日本でのクリエイションとして滞在することとなった沖縄で、何を思ったものであったろう。
私たちは、その翌日より、徐々にクリエイションにと取り組むこととなるのである。
流れる雲を割って、満月は首里城の上にあった。
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