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午後5時に近かった。メガマウスの標本などに魅入られた私は、途中で変更となった待ち合わせ場所をすっかり見落としていた。そして冷たい飲みものを飲んで合流を待っていた。結果として私のほうが駐車場に近いところにいたのであるから、さほどに問題はなかったはずだ。しかし、日中である。暑い。極力体力を使いたくない。と、ぞろぞろ階段を上って駐車場に向かう折、ふとWei師匠に腕をつかまれ、階段を駆け上らなくてはならない羽目になってしまった。あぁ、師匠、押しがけでやっとかかる古エンジンとか、そういうわけではないのです、私の状態は・・・備瀬滞在中、彼らに何をされてしまうのだろうか。そういえば、那覇のスタジオで、腕立て伏せをしているPoさんから「レモンさーん、備瀬にいるうちにこのくらいできるようになるぜ!」と微笑まれたのを思い出した。車に戻ってからの移動時間は、これを思い返すだけでもぐったりと半分無意識状態になれたものである。
そう、この辺りにはすでにPoさんによって、そのぐったりかげんから「(half)unconscious」という形容が私の頭に冠されていた。光栄である。分別知を意図せずして外れた状態を提示しているらしいのだから。意図すれば外れてしまう類の表象なのであるから。光栄である。
備瀬の宿に荷物をおろし、夕の引き潮時間を惜しむように一行は海に向かった。
その時期は干潮が朝夕であった。次第に日の影って行く中、水野さんやマサさん、Wei師匠らは率先して海に入っていく。Poさんは体が冷えたらしく早々に陸に上がった。私はせいぜい足までを潮水につける程度で、まずは磯に潜む水生生物を見ていた。「熱帯魚みたいなすごくきれいな魚が目の前を泳いでるのが見えたの!」と水野さんがこの地の素晴らしさを伝え、そして海に潜ることを勧めてくれる。
この地では「水貝」と言うのだそうだ。巻貝の左右に長い角が出た貝が一つ潮だまりに置かれていた。持ち上げるとカタツムリのような目が二つ出ている。その青い目がこちらをうかがっている。私も、そばに寄ってきたメンバーも、その青い目の動向をうかがっている。おそらくそこに意思の疎通もコンセプトも何も存在しないためであろうか、互いに見つめあうこうしたしじまというのは案外たっぷりと浸っていられるものである。もし私が舞台作品を作ることになるのなら、こうしたなんだかわからないけれども見ていられる、過ごしていられる何かを作ってみたいものだが、根が落ち着きがないので私はいつもやりすぎてしまうか、そのことに気が付いて考え始め、そしてその実現性とのはざまですっかり息切れてしまうのである。結果として、もうそういうことはあえて舞台上でしなくてもいいのではないかといったような諦めともつかない思いと乳化し、主語を特定することをも含め、ぼんやりとなっていく。
ぼんやり。
夕の風が涼しく吹いてきた。サトウキビと芋との畑の中を抜け、我々はペンションに。今後のクリエイションを各自励むようにと、その夜はペンションのマスターが腕によりをかけての心づくしのごちそうであった。
料理をいかにおいしく食べることができるか。そうした演出が、当然ながら素材の選定や下ごしらえのみならず、食べるその状況作りにまで施されようとしていた。私はそのしつらえにやや緊張した。
食事が始まって間もなく、汁ものに出されたあおさの味が一味違うことに気が付いた水野プロデューサーはさすがである。おいしく食べてもらうために、丁寧な管理と下処理が施されており、それで風味が利いているのである。「ただ旨い旨いってな、そういって食う人はいるんだけど、その味にちゃんと気が付いてくれる人ってのはなかなかいないんだよ」とマスター。こういった丁寧な仕事にはなかなか恐縮させられるものだが、そこをリラックスさせて楽しみながら味わってもらおうという演出が展開していく。口元に運べばすぐにほどけて行ってしまいそうな握り一ネタごとに、衣替えなど、また別の一ネタが挿入されるコースなのである。
その展開にWei師匠がすっかり感じ入って、ちょうど入った奥方よりのビデオ通話にこの様子を映した。奥方とお子とが食事をしていたらしく、鳥の首をかたどった帽子を被ったこの時のマスターの1シーンがその通話に映し出されたことに衝撃を覚えた彼のお子は、驚きのあまりにその瞬間、画面の向こうで食べていたものをバッと吐き出した。我々の緊張もこうしてほどかれていくのである。笑うということが築いてくれるある状況下における当事者性といったものは興味深い。感動と言うのはこうしたステップの先に築かれやすいところがある。喜劇などでも、大いに笑わせた後でしんみりとした心情吐露が置かれると、お定まりだとわかっていてもついつい涙があふれてしまったりするものである。
まぐろの握りが出る時、我々はマスターより一人づつ「すし食いたいかー!?」と踏み絵めいた問いを投げかけられながら、その手より直接口に握りが運ばれるという事態に直面した。多少の抵抗感がある者もない者も皆、ひな鳥よろしく口を開けて待つより仕方なかったのである。しかし、これは単なる遊びではないのだ。それが分かるのは、この食事もごく後のほう。雲丹の握りが出されたときに明確になった。こういった行動は、すべて作り上げた料理をおいしく食べさせるための下ごしらえになっていたのである。重ねて言うが、それは軍艦ではない、雲丹の握りであった。柔らかで水分の多い雲丹の身を握りでいただく場合、ひとたび皿の上に置かれ、箸や指先でこれをつまもうとすれば、あるいはムラサキへネタを撫でつけようとすれば、このほどけるようなシャリもろとも、この握りは崩れたり、また同時に風味を逃していくことになりかねないだろう。この握りは、料理として完成してすぐにその口へと運ばれるのが最上の味わい方であった。そのための抵抗感を理屈ではなく段階を経て自然に取り外す工夫が施されていたのである。すごい先生の所へ私たちはたどり着いたものである。
その驚きを伝えたところ「料理はできた瞬間から味が落ちて行っちゃうからなぁ」とのみマスターが答えてくれた。後々バーベキュウの場で花寿司とか祭り寿司とかいわれるような巻寿司が皿の上に並んでいたのを見つけた私は小躍りした。その小躍りを見て、マスターが「どんだけきれいに作ってもさ、食べたらうんこになっちゃうからなぁ」と。無常である。その一時の花は、しかし一口で頬張りきれるものではなく、四口ほどでやっと一つを平らげられるような大きなものであり、その一口ごとに風味が異なっていたのも驚きであった。そうした驚きが、食べた後しばらく心地よい余韻を形作ったのも面白いことであった。
上がりまでをいただき、私たちはこのカウンターのある一室を後にすることとなった。通されたときから気になっていた観山と落款のある額が改めて目に入る。「一食懸命」。
我々は、ペンション裏手の道を抜け、夜の海に案内された。懐中電灯のスイッチをオフとする。備瀬は天の川の下にあった。この晩、Poさんは足や腕に赤い星を刻んだ。その後数日残る虫刺されである。
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