remo-memo7


9月21日の夜中1時半のことだ。
Wei師傅からメッセージが届いたので、何だろうかと思ってみてみると、「志村けんが011に今出ている!なんてすばらしい夜だ」と書かれている。
私たちが出会った初日、彼は知っている日本語を披露しはじめたのだが、その中に「へなおじさ」というのがあり、一瞬何かわからなかったが、身振りを交えた瞬間、それが志村けん「変なおじさん」であるということがわかった。それにしても、志村けんの国際的な知名度について考えたことなどあっただろうか。Wei師傅に関していえば、京劇において道化役を担う「丑」というのもあるし、芸道に資することもあって志村けんを特に視ていたのではないかとも思われたが、どうやらPo氏も以前に志村けんのコント番組を見ていたらしい。
面白く思ってこのことをツイートすると、韓国の方や日本在住のジンバブエ人コミュニティーの人々の中にもまた志村けんの番組に釘付けとなった方があるとの返信があった。なんでも目撃談によれば、テレビ番組が始まったとたんに電話連絡が回ってきていたとか。

深夜のコント番組を見た翌朝、Wei師傅が「志村けんは日本では有名か?」と尋ねてきた。ほとんどの日本人が知っているコメディスターだと答えると、「どのくらいにわたって活躍しているのだ?」というような趣旨の質問が返ってきたので、40年以上にわたって活躍している旨伝えた。師傅は興奮気味にPo氏に志村けんの素晴らしさについて、わーっとまくし立て始めたようであったが、Po氏の反応はやや落ち着いたものであった。あぁ、今まさに彼らの間の個性の違いを私は見ているのだな。
ちなみに、この中で志村けんに関して敬称を略しているのは、敬称をつけられるような身近さをすでに通り越した一人の眩き存在として、志村けんを語らざるを得ないためでもある。
あぁ、それにしても言語を超えて人々の腹をよじらせる人の技の偉大さよ。

19日のリハーサルのなかで、引き続き前日のコンタクトを基に4人そろってのシーンを試みていた。その延長、Wei師傅の京劇の身振りを緒方氏が見て言葉にし、Wei師傅の動きを見ないまま、その言葉を私が自身の身振りに反映させるということもしてみた。私としては伝達の不可能性であるとか、誤解といった事柄がこうしたゲームの中に象徴的に表れてくるのではないかという期待もあったものである。
それにしても、動き一つを言語化するとして、その全体性の中からいったいどの部分をどのように拾い上げたものか。その視点がおのずと問われてくるとき、事件のような状況に関する叙述、ひいては歴史叙述に関する視点に関する問いかけへと飛躍可能なシーンが、これをたたき台とすることで作れはしまいか。いや、そんなところまでは拡大せずとも、例えばこれから展開されるコミュニケーション自体が制作における主題となっていったとして、そのずれを面白がることのできる抜け穴をこんなところから作って行けはしまいか、と思ったのだが、どうやらこれ自体は面白がられはしたものの、その後取り上げられることがなくなってしまった。もちろんこうした意味合いの広がりについては言葉でも伝えたのであるが。

こうして文字だけにしてみると、結構まともなことをやっていたように思われるかもしれないが、実際にその場にいた人の目には、ただ私がふざけているとしか思われなかったかもしれない。Po氏は私が緒方氏の言葉から身振りへ解釈していくのを見ながらこれを真似し、その仕上がりのずれの大きさを面白がっていた様子ではあったのだが。

私が記述するために、こうしてこのダイアリーには私がいかに考え、活躍したかが描かれることとなるのである。そう、これこそ、こうした遊びのようなコンタクトが告発するところなのだ!どっかーん!!・・・うむ、頭の中でシナプスが何人か抜いてバトンを渡してしまったらしい。

ま、私以外のかたのレポートもおいおいあがることだろう。その時に読者諸氏が公正をきっすればよいのだ。


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