remo-memo6


9月20日は米軍キャンプ沿いの道路を通り、島袋善保先生の空手道場を尋ねる。

この日はWei師傅が10代の8年を京劇の訓練に費やして来た事、そしてその鍛え上げられた身体能力がまざまざと発揮された日である。

Po氏とWei師傅との交流は、ある舞台で二人がダブルキャストとなったところから始まるとのことだった。その後、伝統劇のアクロバットに興味を持ったPo氏は、自身のダンスを育てる糧として、Wei師傅に指導をうけるなどしつつ、次第にWei師傅出演の舞台など、伝統劇の舞台に上がる機会ができたのだそうな。

さすがに鍛えた二人である。島袋先生も面白く思った様子で、稽古初回は通常突き・蹴りで終わるところを、足さばきを伴った突き・蹴り。そして一連の流れを持った型の学習にまでどんどんと進んでいく。私は拳の握り方にまず関心したまでは良かったが、その後の突き・蹴りあたりからさっそく雲行きが怪しくなり、足さばきが加わる頃にはさっそくついていけなくなっていた。

蒸し暑さにぼーっともしてきたが、水野氏は「去年なんてこんなもんじゃなかったんです!それに比べたら・・・」と、私には比較しようもないことを想像力でカバーし、根性見せろと言わんばかりである。朝の頭痛がぶり返しそうだ。

「普段の稽古では、初回ではここまでやらない」という言葉に縋りつくようにして、まったくついていけないことの言い訳とせざるを得ないといった調子で、私にはすでに見栄もへったくれもない。それでも、先生がすぐ横に来て、この落ちこぼれにまで親切にしてくださるし、何より先生の目は戦う者の精神をそのまま現したような隙のない鋭さである。休憩に入っても、まったくその目が緩むことがない。空手に生涯を捧げる人というのはこういう目になるものなのかと感心し通しである。関心し通しではあるが、同時に、これはへらへらサボりでもしたら殺られる!と過剰な危機感をも覚え、私も頑張った。頑張ったが、やはり覚えられないものは覚えられないのである。その覚えられなさが可笑しいのか、ふと同行の水野氏や川口氏と目が合うと、なんだか微笑んでいる。あぁ、私もあの位置でスポーツドリンクのお守りをしているほうがしっくりくるのだ。

ふと見ると、Po氏とWei師傅を挟んで向こう側で緒方氏がやはり苦労している様子であった。今日は予定より早く始まってしまったので、予定の2時間よりもたっぷりと善保先生にはご指導いただけるのはまったくもって光栄なことなのである。とはいえ、じっとりとしてきたシャツで額をぬぐい、あぁ、中年男にはいろんな汗が出てくるものだ…と思いながら時計を見てしまう。そんな具合だから余計に型も身につかないし、先生の言っていた型にはそれぞれ動きとして論理的な根拠があるということに気が付くのも時間がかかる。全員で一連の型を復習するのだが、撮影したビデオを見返すまでもなく、私の身振りは型としての総体性に欠いたものとならざるを得なかった。人にはやはりしっくりくる物事と来ない物事があるものだ。そして、しっくりくる物事には、取り組むべき必然性が何らかの形で醸成されているものである。この道場で行われていることが私にしっくりと来るようになるには、その必然性が過去で得られなかった以上、必然的に未来のことであるようだった。

そんな私とは極めて対照的に、Wei師傅の空手の飲み込みの速さには目を見張るものがある。空手の型が持つ体の各部位の方向性を、理論的に師傅が了解さえすれば、おのずと整う類のものであるから、先生も自身香港に縁のある事を語りつつ「生徒にほしい」と呟いたほどである。
今はかろうじて志村けんの話題と通してコミュニケーションを図り始めてはいるが、師傅と私とは広東語から英語を介して日本語に、といった言葉を交わす過程同様、この4人の組み合わせの中では両極にあるように思われた。

やっと、私にとっての今回のプログラム中一番の懸念案件が過ぎようとしていた。とはいえ時間が経ってしまえば、まじめに取り組んでの汗だくいうのはなんだか清々しいものである。気が付けば両足の親指には、慣れぬ足さばきへの戸惑いと無理の跡とでも言わんばかりの水泡ができていた。そして、緒方氏の足にもそれがあったのを見て、なんだか仲良くなれそうだなと思ったものである。

「回し蹴りとか、そういう派手な動きの攻撃を我々はしません。こういった攻撃は見栄えはよいけれども、実践においては動きを相手に悟られてしまう。だから喧嘩の時でも相手のことをよく見なさい。強い人はじっと目が座って戦うそぶりを見せないものです」。そう先生が語っておいでだった。良い汗をかいた解放感からか、カメラを構えた私の前で、Po氏がピョンとジャンプした。すぐ近くに先生がいた。私は思った。「あぁ、Poさん、先生の前でそのような・・・残念だけど君は先生に完全にやられます」。
その直前まではWei師傅と若先生が腕と腕とをぶつけ合う荒っぽい鍛え方に取り組んでいた。


デトックスを終え、一行が知花幸美先生の案内で茶谷のアメリカン・ビレッジに寄り、コーヒーフロートで出て行ったものを取り返した帰りの車の中のことである。ひと段落ついた私はただぼんやりしていた。いや、そこにはうっすらと熱中症の前段階も現れていたらしい。
前日のことであるが、Wei師傅が日本名を欲しがっているとか何とかで、強そうな名前にはどういったものがあるのかと尋ねたらしく、それに緒方・川口両氏が「つよし」と即答。「剛」と書く。これを喜んだ様子の師傅ではあったが、どうしたわけか同時に「強い」と「つよし」といった形容詞形と名詞形の違いにも後後まで混同が生じたりもした。この辺りは我々のコミュニケーションの機微がよく表れているだろう。

道場帰りの車中、Po氏もその名前の日本語読みを知りたいとのことから、漢字「曹徳寶」の日本での通行の読み「そうとくほう(ぼう)」を伝える。そのまま自己紹介に使えるように「私ね、曹徳寶いいまんねん」というのも覚えてもらうことにしたが、ニュアンスの細やかな機微を獲得するのは難しかった。これは日本人でも難しいことである。
また、Wei師傅も同様に日本語読みを知りたいとのことであったが、漢字表記では「蔡之□(「山」を書いて下に「威」)」とのことで、「Wei」と発音する□(「山」を書いて下に「威」)が日本での読みをすぐに見いだせなかったのと、その旁から「い」と読んだとしても「さいしい」という具合にどこか名前にあたる部分の発音が一つにくっついてしまいそうでもあったので、「つよし」がいいかもしれないね、と改めて伝えたものである。

ずっと後、札幌でのショウイングを終え、ダニエル氏と話す中で「もし日本名が欲しいなら加藤という苗字はどうか?」と勧められたようで、私に「どう思う?」と尋ねてきた。名前は「たか」だという。その後ろでダニエル氏がこのネーミングの由来をいたずらっぽい笑顔で語ってくれたのだが、今はその由来を省こう。しかし奇遇なことに「山」を省いた「威」という文字は、名前においては「たか」と読み、また「つよし」とも読むような使われ方をすることが分かり、まんざら「つよし」というのも彼とかけ離れたものではなかったのであるから面白い。

それにしても、彼らの呼び名は、その一番最後の文字をして呼ぶ習わしであるらしいことに改めて気が付いた。

私がコインランドリーでおじさんに韓国人かと尋ねられたのはこの夜のことである。

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