remo-memo1


前章
初めての土地に向かう道というのは、目に映るものすべて新しく思われるものである。

羽田空港を飛び立った飛行機は、台風の接近が報じられている沖縄に向けて離陸した。とはいえ、この時すでにかの台風は先島諸島あたりをのんびりとしていたために、那覇までの航路は多少気流の乱れを示しはしたものの、飛行機は順調に南西にと進路をとった。

うつらうつらとしていたらしい。気が付けば窓の向こうは、青い肌の地平に根をおろした菌類がいくつも成長しているかのように、雲はどこにでも育ち始めている様相である。それは同時に石灰岩の乱立した草原をも思わせる光景であった。岩石のことを雲根と呼んだのは誰がはじめであったか。石と根を通じるものと目されたのもさもありなんといった形状を示した大小の雲。その大小弧を描くようにして並ぶ様に、これらの成長過程や林立を見ていると、進行方向より白く切り立ったきりぎしが現れるのが目に入った。それはこの草原のかなたにそびえる頂上の平らな山並みか、もしくはこの海原の向こうに遠く現れた大陸の突端の姿として映った。

その壁の奥には何やらさらに天空へと吸い上げられるように白雲が伸びあがっている。しばらくしてこのきりぎしにと近づき、その周りを抜けていこうとするときには、それが大陸のそれではなく、海原に浮かんだ天然の要塞としてその実像をあらわにし、あの吸い上げられるようにして天空へとたなびいていたものは、この切り立った護岸に囲い込まれた砦の奥殿、あるいは城としての重要な位置づけを持った塔であるのだと、おのずと知れてくるところであったのだ。そして、この砦をまだ囲むように散在する白き岩石群は、そのうちの特に目立ったものが、青木地面に特別深き影を落としているのがみとめられた。いや、それは陰ではなかった。島である。重たくも成長し膨張した雲は、島を養分として育ったものであった。もしくは、だれかが島に施したデコレートションであった。これは単におとぎ話めいた表現でもなかろう、、、

飛行機は那覇空港に着陸しあぐねていた。それたといっても台風はいまだその裾を振っている。空港には土砂降りの雨のために着陸がはかどらず、その裾に煽られた形で着陸許可を待つ航空機が近くの空域をぶらぶらとしているのだろう。私の乗ったこの機体も、やや行き過ぎたかのようなかたちで雲の間で日に照らし出された島の周りをゆっくりとめぐり、見下ろしていたあの雲の塊を側面から、そしてやや下から見上げる形でみることができたわけだが、面白いことに、あの島にすっぽりと覆いかぶさるようにして成長するなどしていた雲は、その膨張とともにわが身を持ちこたえられずにか、ただただその下へと雨を注いでおり、その薄茶にくぐもった雨の幕の端を彩るようにして虹を従えているのである。

こういう雲の下で過ごす日が訪れるのだな。できればこの滞在中、週に一度くらい台風が来てくれれば、サンゴにも良いかもしれないし、なにより私も骨休みができるだろう、と機内で購入したアイスの蓋を舐めながら、送られてきたスケジュールを思い浮かべて思ったものである。

こうした気取ったものいいを思いめぐらせた後、『虹の中のレモン』というグループサウンズ時代のアイドル映画があるということを知った。
そう、ほんとにどうでもいい情報をいま私は付け加えた。こうしたどうでもいいことは、私が自己紹介のたびに「シンガポール、日本に来て15年です」といった枕をつけることでも徹底していたのだ、と付け加えておく。また、このことで私は香港チームには「確かにシンガポールっぽいね」と言われたこと、そして数日後、夜中のコインランドリーで、どうやら生活道具一式を二つのカバンに詰めたおじさんと世間話をしていた折「旦那さんは韓国の方ですか?どうも日本語がすこし・・・」と言われ、「日本人です。でもちょっとシンガポール」とつい言ってしまったことに至るまで徹底していたのである。まぁ、これが徹底と言えるのかどうかは、言葉の綾程度に受け流しておいてもらいたいところであるが。
コインランドリーのおじさんとは、この地域ではどこのコインランドリーが一番安く洗えるかといった、ごく日常的な話をしていたのである。

私は私の見聞できた範囲で、今回のクリエイションを語ろうと思う。
れもん