remo-memo9


話がそれた。
この日のワークショップは引き続き緒方氏。彼女が現在取り組んでいる神楽の演目を基に、舞の創作過程で象徴的に取り入れられた身振りのもととなっている物事と身振りとの関係について、その身振りを追体験しながら創作過程に思いをはせる類のものである。参加者の能動性いかんにおいては、振りの創作における現象の象徴的な取り込み方とでもいうべきものを考えるたたき台になるものであったろう。

吸収性の高いスポンジのような参加者諸氏のうち半数ほどが、教材用にと配布された日の丸扇を振りぐるぐると場内をめぐる姿をどう見たものかと思いつつ、気が付くと私は椅子に腰かけたまま気を失ったように眠りに落ちていた。ワークショップ後、「どうして私のワークショップに参加してくれなかったの?」と緒方氏に問われたが、スポーツドリンクのペットボトルを抱いてぐったりしている姿を見て、その所は察してくれないかと思った。いや、察するとかいう以前に、沖縄に来て以来私のぐったりはすでに外見上の個性としても遜色ないくらい板についたものであったのかもしれなかった。

しかし声も出にくい。水野氏からは症状に関する細かな質問をうけたものの「それは熱中症ではない。私は去年熱中症になったので知っています。あなたのはきっと風邪!普段からの不摂生がたたったんです。早く寝なさい!」と。ねえさん、今はそんな強めの冗談よし子さん。。。あぁ、もはやそんな分別は私にはどうでもよいのであった。優しい気遣いでたびたび体調管理のために部屋に帰ってもいいと言ってくれたが、私としてはせめてもワークショップの終わるまでは居眠りをしてでも付き合う心づもりであった。私は一緒に過ごすメンバーが人に何かを教えるときにいったいどのような方法をとり、何をするのかを見ておきたかったのだ。そう、だらだらしている風に見えて、私は案外真面目なのである・・・と自分でいうこういった言葉にどれほどの説得力が生まれるだろうか。

休憩をはさんでWei師傅の時間。京劇には人物を表す上でまず大きくは4種の分類を用いる。男性役の「生」、女性役の「旦」、武者など荒事を行う「浄」、小役人や無頼漢、庶民など、滑稽な役回りをも演ずる「丑」・・・あぁ、それにしても学生のうちはちょっとでも興味のある分野について授業を受けるなり本を読むなりしておくものだ。一コマだけ受講した樋泉克夫さんの授業が今目の前に現れた師傅に向かい合う上で多少なりとも道筋を作ってくれている気がする。先生ありがとう。そしてこうした機会をくださった水野さんありがとう・・・と、立ち姿や手の運び方など、これらのそれぞれの性格の違いを身振りを通して体感する。
多少のアクロバットも交えて見栄をきるところまで。受講者は嬉々としてこの得難い機会を楽しんでいる様子である。

それにしてもWei師傅の積んだ修行の成果は日常の端々で見せる細やかな技術からもうかがうことができた。例えば人まねである。
備瀬滞在中、ペンションでのバーベキュウに加えてもらうことがあった。途中雨が降り出したので屋内に移動したが、その時同宿された方の内お一方がこの同席を非常に歓迎してくださった。
日本語にはとても素晴らしい言葉がある、それは「よろしーくっ!」(最後、右手で結んだ剣印をこめかみから相手方向へスライドさせて完成です)だ。レモンさんチャンと教えてなきゃダメでしょ。恐縮した私は「このように実地で教えてくださるご親切な方がきっと現れると思っていたところなんです」と、せいぜい返すのみで耳を赤くしたものである。「またまたうまいこと言うんだから~」との返ってきたときにはとても頭を上げることのできないくらいの謙虚さであったことは言うまでもない。

その後、この「よろしーくっ!」は我々の間で流行った。正確にはWei師傅がたびたびこれを摸した・・・と、まぁ、このように話はそれるものである。
この「よろしーくっ!」をWei師傅は見事にコピーした。酒に酔った半眼、やや吊り上がった眦、眉の曲がり具合、盃を持つ手の角度。特に最後の一点は、私が机に肘をつき、口に近いところまで盃を持って行ったとき、「それは茶を飲む時の手の高さだ。酒はたっぷりとこのあたりの低い角度でもって表すのだ」と。この舌を巻くべき徹底ぶりに私は恐れ入った。親しみだけではなく、改めて敬意をこめて私は彼を「師匠」と呼んだ。これに先立って「丑」の技とて、自らを指さしながら目を見開き、そして細かく瞬きをし、また半開きの口より細かに舌を出し入れするというのを見せてもらった。また、額の左右真ん中、眉、目の周り、頬、鼻、口など各部位を自在に動かすのを見せてくれた。まったくもって技能者というのはこういう人のことを言うのである。おさおさ怠りなく鍛え上げられ、これらを駆使して様々な役を演じ分けているのである。「師傅」というのはこういう存在なのかと感心した。

うれしいではないか、こういう人と一緒に何かしらの作業をともにすることができるのだ。翻れば、私には舞台に関することで人に何か関心してもらえることがあるだろうかと恥じ入りたくもあったものだが、そんなことを言ってはいられないのである。とにかく体当たりでこうした人と何かできることを楽しむことにと舵をきるしかないのである。

Po氏のワークショップが始まった。
打って変わって、ダンススタジオに稽古に来たかと見まごうばかりである。「ちょっと難しいところもあるかもしれません。そう思ったら無理しなくてけっこうですからね」。彼は屈託ない笑顔ではありながらも、ダンスの先生の顔である。すぐに無理をしない方が現れた一方で、ダンスの勉強をされている参加者の中には水を得た魚のように生き生きとした方が見られたのも興味深かった。彼はビデオ・ダンスへも取り組んでいるとのことで、今回もその後半、ビデオ作品(或いはその素材)の制作を兼ねたものとなっていた。こういったワークをする彼が、Wei師傅とどのような共同作業をしているのか、この時とても興味深く思った。

それにしても、非常にバラエティに富んだワークショップ・プログラムである。きっとそれぞれ30分~1時間弱ほどではあるが、クラスを持った私たちも含め参加者全員に何かしらの新たな視座の種がまかれたことであろう。いや、少なくとも私はそう思いたい・・・とかなんとか、ぼんやりと思い浮かべながら、私はワークショップを終えた博物館を後に、タクシーに乗り込み、交流会を失礼して一足先に部屋で休ませてもらうことにした。

交流会もきっと盛況であったことだろう。一人寝ている私を心配して、プロデューサーが仕事の忙しい中、この私に夕食を作ってくれようとしてくれていた。しかし滞在先の目の前がスーパーである。私はスーパーが大好きなので、ちょっとした隙に気分転換もかねてスーパーに行ってしまうのだ。ということもあり、私はスーパーに寄ったついでに手に取った白身魚の天ぷらや卵とスパムのおにぎりなどで食事を済ませてしまい、このせっかくのご好意も無駄にしてしまったのである。そしてその夜、水野さんのやさしさに涙した。いや、目だけではない、上半身びっしょりと寝汗をかくことで感謝の意を一人ひっそりと捧げていたのである。

悪い癖で、今ちょっと話を盛り上げてしまった。ただの寝汗である。
この晩、Wei師傅も気遣ってメッセージをくれた。好青年である。


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