remo-memo13

13
移動のために支度をするのだが、備瀬で自然に触れるための準備にと那覇で買いたした服などがかさばる。
前日、水中を見るためにとゴーグルを買ったが、すぐにこれがあまり役に立たないと緒方氏に指摘され、同道のPoさんとしょげたりもした。そのゴーグルも意地でバッグに詰め込む。

那覇最後の日は北海道での上演を技術的にサポートしてくださる高橋氏が合流した日でもある。
香港メンバーは高橋氏の愛称「マサさん」にやや発音しづらさを感じている様子である。特にPoさんはやや舌足らずといった調子で、「んまぁささん」となる。しかも声がやや甘い調子ということもあり、おそらくマサさんが乙女であったならPoさんに対し恋に落ちていたはずである。

こんなこともあった。札幌で上演を終えた翌日のシンポジウムの席で発言者が順番に登壇していた折、自身の出番を終えたPoさんが私のところへ来て、私の耳に紙をあてがい、甘いささやき声で「おねがい、ぽこぽこ」と言った。
はじめ、意味が分からなかったのだが、おなかをさするジェスチャーをしたところから、どうやら彼は「おなかペコペコ」というところを、「おねがい、ぽこぽこ」と言ってしまったようである。静粛な場である。私は煮え立った粥のように、くつくつとこらえてなおあふれ出す笑いをどうしようもなかった。そして、この可愛らしさ、私が乙女であったなら完全に落ちていたはずである。もちろん、ゆっぴ(緒方氏)や川口さんにはこのことを伝えた。そしてゆっぴからは「ずるい~」と、とってつけたような焼餅を頂戴したのである。役得というものである。なお、後日私がPoさんのことを「お気に入り」であったとの憶測があったことを知ったが、その意味合いはともかくとしても、彼には少年のような屈託なさがあり、可愛らしい青年であったことは確かである。そして同様かそれ以上にWei師匠はWei師匠なりの少年っぽさと可愛らしさをみせていたものである。もちろん2人とも気遣いのある好青年であった。好青年ではあったが、友人としての馴れ合いでもあろう、備瀬以降は「クレジットカード」などの子供じみた遊びにも共に興じたものである。
「クレジットカード」。お尻の割れ目を狙って、そろえた指先などをスライドさせる遊びである。
「あぁ、あたしそういうの無理」と、ゆっぴに白い目で見られ、また水野さんからは「ほーんとに子どもだね!」と呆れられたそれである。

・・・うむ。何の話であったろうか。私たち男子チームがどのようなコミュニケーションにと行きついていた、という話であったか?

幸美先生がレンタカー店まで送ってくれた。思えば那覇初日、空港から滞在施設まで送ってもらったときも私はその助手席であった。その時に沖縄におけるモダン・ダンス・シーン、そしてコンテンポラリー・ダンスに関する状況などの概説をうかがえたのは貴重な時間であった。しかし、今や私は日中微熱でぼんやりである。レンタカー店でも扇風機のある受付スペースのベンチに一人座って梅干しとミニジャーマンを交互にかじっているくらいだ。しかし香港チームは暑さに強い。はつらつとしている。北海道では逆転現象に近いものが我々に間に現れた。これは興味深いことであったが、私はその時には涼しさにそれまでの疲れを引き出される形となった。であるからして、私の表象においてぐったりは変わらなかったからなかなか板についたものである。いや、なんだかこのように話すと、わたしは始終ぐったりしているようであるが、朝にメンバーと合流した時や、移動前、そして日暮れなどは落ち着くのなさを大盤振る舞いし、「朝からこのテンション?」とたしなめられる場面もあったのである。単純にペース配分のできない興奮状態の子供、というのが近いかもしれない。そして、連絡事項や真面目な話が始まると、次第に落ち着きのなさを発揮した。それを発揮と言えるかどうかはわからないのだけれども。
とまれこうまれ、一行はマサさんの運転する車で一路備瀬へと向かった。

途中、道の駅がとても好かった。連なる売店の店先を一通りみてから、それぞれ食べたいものを選んだのだが、ハンバーガーを買いてんぷら屋に向かうその先々で水野さんに出くわした。どうやら食べたいものが似ていたのである。その後も備瀬で同じ箇所に物貰いが出るなど、我々の間にはいくつかの類似点が事ごとにあらわになった。それはおそらく遠い昔我々は同族であった可能性を示している・・・と水野さんに言われたことを尊重して今はそういうことにしておく。食後、サーターアンダギーをお土産に道を急ぐ。このかつての保存食でもあったという揚げケーキはその後三日ほど、身を削りながら私の部屋に逗留し、夜ごと私に糖と脂肪といった二大満足物質を供給してくれたのである。

備瀬のペンションでは、毎朝コーヒーを飲めたのも私にはよかった。なにより水が良かったのである。週三回ほど、マスターが100キロほど離れたところから汲んでくるという水であった。ヤンバルクイナもこの水を飲んでいるとのことである。飲み口も柔らかでよかったし、こういった物語が、水にさらに輝きを与え、舌に体に作用するようであった。であるから、毎日、1リットルのスポーツドリンクと交互に最低1リットルは飲んだように思う。

備瀬ではどのようにのんびりと海の生物を観察できるだろうか。海にはいってのんびりしていれば、きっと暑気のようなものも海水にととろけだしていくのだろう。そんな近い未来をぼんやりと思い浮かべる車中であった。
しかし、案外個々人の時間や休日を削ってクリエイションとコミュニケーションは行われた。長男長女があつまるとこういうことになるのだろうか。

remon